『機界戦隊ゼンカイジャー』最終回 描かなかったもの 描いたもの

注意:本文には『機界戦隊ゼンカイジャー』49話、最終カイ「俺の世界、みんなのセカイ」のネタバレが多分に含まれます。 あらかじめご了承のうえ閲覧ください。































 正直なところ、地味な最終回だと思った。 実質的な最終戦を前の48話でやりきったこともあるし、「「神」との世界の命運をきめる決着が意外な方法」という文脈も、きょうびそれほど新鮮なものではない。 
つまるところここで感じた「地味」というのは「絵的な派手さのなさ」。一切の戦いがない最終回ではないのだけれど、戦闘の記憶はあまり強烈に残さず、世界が平和になったあとの主要人物たちの生き方、そしてわれらが五色田介人のこれからをしっとり描いてEND、としている。 

 ゼンカイジャー終盤で感じたのは、「戦闘に重きを置くことの放棄」だ。 今さら弁解する余地もなく、この作品は非常にコメディ要素の強いスーパー戦隊だった。 ステイシー、ゴールドツイカー一家、行方不明の五色田夫妻など、節目節目で影を落とす要素はあれど、基本的に「世界や人々を○○にしてしまう(○○には好きなトンチキ要素をいれよう)怪人」があらわれて、ゆかいな劇団ゼンカイジャーが奇想天外な手段で対処する、というテンプレートを46話まで繰り返している(文字通りリサイクルして繰り返した回もあったほど)。 この時点でヒーロー特撮をかじったひとなら「最後1~2話でラスボスと戦って倒せばそれまでは何やってもいいと思ってるな」と察するところではあるが、今作ではそれに加えて終盤「神」なる存在が登場する。 
彼は最終回まで自称「神」ではあるが、他人(人間・機械問わず)の意識を奪い体を乗っ取る、並行世界を勝手に解放する、それらの能力を使って主人公サイドに加担し敵サイドに不利な状況を作り出すとやりたい放題のチートキャラであり、ただでさえ「5人揃えばノリで勝てる(のでスーパーヒーロー戦記では散り散りにさせられた)」と言われる戦隊に「そりゃこんなんが味方したら勝てるわ」という印象を強くした、強くしすぎた存在である。 であれば当初の目的であったボッコワウスを倒す、という線は(たとえ「神」が最終的に裏切ってボッコワウスとWラスボスになったとしても)まず確定で、『侍戦隊シンケンジャー』の血祭ドウコクのような「こんな強いラスボスをどうやって倒せばいいんだ?」といった推理に重きを置いて物語を運ぶ存在ではないのだろうな、と(確定したのは最終クールだが)推測され、実際「神」に弱点をバラされ忠臣とペットを失い巨大戦もなく倒されてしまった。 

巨大戦といえば、キカイトピアに乗り込んだ47~48話の最終決戦、最強戦力であるゼンリョクゼンカイオーが登場しなかった。これは年末商戦が終わったからとかフルCGだからイジルデロボと戦うためだけに新規に作れないとか次作の準備があるからとか大人の事情を察することはできるものの、そこはそれ、「メンバー4人がメカで、巨大化と変形合体もこなす」という唯一無二の特長を活かす形で「巨大戦をしなくても『ロボの勝利=ヒーローの勝利』『ヒーローの勝利=ロボの勝利』方程式が成立する」強みを存分に発揮したのだと好意的に解釈したい。 
そういうわけで今作には「強大すぎるラスボスあるいは味方側の弱体化に対する攻略・解決方法の模索」も「最強戦力の巨大ロボによるラスボスとの最終決戦」もなかったため、戦闘シーンでの絵的なインパクトは薄かったように思う。 

 代わりに最終回が描いたのは、「ゼンカイジャーとは何だったのか」ということ。 
最終盤ジュランが「ゼンカイジャーは敵と戦うための集まりだけではなく、介人が好きで集まったメンバー」というような発言をする。たしかに物語は介人の驚異的な行動力とコミュ力から始まり、そこからキカイノイドや海賊、平行世界の人々といったひとの輪が広がっていった。であれば『機界戦隊ゼンカイジャー』はゼンカイジャーのリーダー五色田介人の物語で、彼一人が平和な日常を取り戻した49話冒頭もハッピーエンドだよね?という問いかけに、介人も、もちろんわれわれ視聴者も、「それは違う」と抗う。 
介人から始まった物語ではあれ、介人も万能の超人ではなく、仲間や並行世界と交わることで学ぶこと、乗り越えられたことがあり、だからこそ「神」の言うひとつの世界のみを選別するやり方ではなく、他者や異なる世界は必要だという結論を選ぶ。 
そして並行世界との交流が広がった「この世界」には「ゼンカイトピア」の名がつけられる。多様な世界と共存することを選んだ介人の、介人たちゼンカイジャーの名前が、「スーパー戦隊のいない世界」から始まった「この世界」を、おそらく史上もっとも多くの並行世界とつながった(『海賊戦隊ゴーカイジャー』は「すべてのスーパー戦隊がいた世界」、『炎神戦隊ゴーオンジャー』は11次元(以上)なので楽勝だろう)スーパー戦隊の世界の名前になる。 
 この最終回によって、『機界戦隊ゼンカイジャー』は「介人がつなげた仲間」であると同時に「介人がつなげた世界」の意味を持つようになったというのが、「戦隊」ではあるが「戦うためだけじゃない」という、この物語の終着点、そして五色田介人の新たな出発点なのだという強い意志表示に思えた。 


 蛇足: 個人的には、「知識欲のために掃除係になり虐げられていたブルーンが介人の世界で図書館に入って歓喜する」エピソードでぼろぼろ泣いたので、キカイトピアで教師・司書の兼任をしているブルーンという一点でもう最終回は百億点だったのだが、介人たちと旅立つことになって「おまえそういうとこだぞおまえでもうーん好き」という感じで十億点くらいになった。

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